ジャズとバイクツーリングの店「バー真湯」です。

ようこそ、真湯(しんゆ)といいます。
店は夫婦ふたりでやっている大阪梅田曽根崎にある小さな店です。
まずよく聞かれるんですけど、真湯という名前の由来からお話しします。
真湯というのは信州野沢温泉にある外湯のひとつです。
20年くらい前からスキーでちょくちょく野沢温泉に行ってました。
ある民宿で居候みたいなこともやっていて、野沢温泉と土地の人が大好きになってしまいました。
で何か因んだ名前をつけたいと思い、大好きなお湯の名前をつけました。
店はちょっと変わってるんですが、ジャズバーであり、ライダーズバーです。
普段はジャズを中心とした音楽を流しています。
店では時々アマチュアミュージシャン中心のライブをやっています。
時々は店のお客さんでミュージシャンの方が多数おられるので
(プロもアマチュアもおられます。)
ハプニング的に演奏がはじまる場合があり、生演奏が聴けます。
店にはピアノ、ギター、ベース、マイクもあります。
お客さんとのツーリングを季節に合わせて開催しています。

キャンプツーリング、BBQとかも時々やっています。
明石大倉海岸でBBQ

私市くろんど池でハイキング

あとはお酒を飲みながらのバイクの話、ツーリングの話などは楽しいですね!
だいたいこんなスタイルの店で、わりとざっくばらんな感じでやっています。
また気軽にお越しください。
よろしくお願いします。
2037-02-20 | 真湯ってこんなお店です。 | ▲ページトップへ
2021年2月のお知らせ。
Bar真湯の最後のお知らせになるかもしれません。
誠に残念ではありますが、
Bar真湯は2021年1月31日に閉店しました。
凄く楽しかったです。
来ていただきましたお疲れ様には感謝の気持ちがいっぱいです。
いずれまた、このホームページを更新できるようになればいいなと思います。
本当にどうもありがとうございました‼️
ビールごちそうさまでした‼️
追想 野沢温泉2 (マスターのひとりごと)
今回から野沢温泉でのエピソードを色々と書いていきたいと思います。
あれやこれやとすごく書きたい事がありますので、ちょっとずつ書いていきたいと思います。
お付き合いしてくださったら、嬉しく思います。
いつも民宿鈴森でお世話になる時は、はなれの3階が居候部屋としてあてられます。
3階といったら聞こえがいいですが、ほんまの屋根裏です。
はなれには当時独身の2人の息子さんの部屋がありました。
お兄さんと弟さんと、ちょうどぼくの年齢もふたりの間やったので仲良くさせていただきました。
ふたりとも昔はスキー選手で今も野沢ジュニアのコーチをしていると思います。
おじさんもクロスカントリーの国体選手ですので、スキー一家ですねー。
居間には賞状とか、あと札幌オリンピックの感謝状とかあったりしてすごいなーと思ったりしました。
はなれは屋根裏やから寒いはずやのに、そうでもなかったですねー!
ほんまにちょっとした暖房器具とこたつしかなかったんですけどね。
大阪でも それだけやったら寒いはずなんですけどね!
ただ朝は寒いとかじゃなくてほんまに冷たいという感じでした。
寝る時はおばさんに暖房は切ってねるようにきつく言われてましたから。
寝る時もふとんと首の間にちょっとでも隙間があったら、もう冷たいんですね。
寝ている間も寝返りをうたないように、直立不動で寝ていました。
もうひとつ、起きてからジーパンはくのが辛かったです!
朝起きたらジーパンが冷気でちょっと固くなってるんですね。
これには参りました。
起きぬけやから、特に辛かった!
そのうち布団にジーパンを入れて寝る事を覚えましたけど。
あの当時は雪もよく降りました。
居候の仕事では雪かきもそのひとつです。
降る時はひと晩で平気で腰くらいまで積もるのです。
そんな時は6時におこされて、
「松田君、雪かいてー!」
と言われて雪かきをしました。
ほんとに積もる時は雪を消しても消しても積もっていくんですね。
ほんま泣きたくなりますよ!
ぼくは大阪に帰ったら雪かきから開放されるけど、
むこうの人は冬中続くんですからね。
大変です。
大変くらいやったらいいんですけど、中には雪かきの最中の事故も毎年ニュースで見ますよね。
家を潰される人も気の毒です。もう泣けてきますよね。
大阪に住むぼくらは毎日1時間早く起きて雪かきする必要もないし、
なんだか楽やし、感謝しなあかんなーと思います。
今日はこれくらいで終わります。
読んでくださって、どうもありがとうございます。
追想 野沢温泉 (マスターのひとりごと)
今日は真湯の語源ともなった野沢温泉の想い出を思いだすままに書いていきたいと思います。
野沢温泉は信州長野県のいちばん奥、新潟県との県境にいちします。
スキーと温泉で有名な村です。
スキーは日本スキー発祥の地ともいわれ、本当に数々のオリンピック選手を生んでいますし、スキー界では世界の野沢温泉といっても言い過ぎじゃありません。
温泉は村内に13の共同浴場があり、温度は高く、湯量も豊富であり、成分もそれぞれ違います。
僕がバイクで回った印象では、北は野沢温泉から志賀高原の渋、湯田中温泉、南の草津温泉までは ひとつの温泉地帯と思います。
それぞれ無料の共同浴場もあり、風情もよく似ています。
ぼくが野沢温泉に通うようになったのは、ある大学にスキー部の友達がいて、その友達に野沢温泉の民宿鈴森で居候が出来るように紹介してもらったのが始まりです。
ぼくはもう社会に出ていましたが、21才か22才くらいやったと思います。
もう30年前の話ですね。
野沢での生活は朝起きたら、民宿のお客さんの朝食の用意をして、ぼくらも朝ごはんを食べて、あとかたずけして、お客さんの部屋の掃除、風呂掃除が終わったら、
いつもおじさんが
「松田君、もうスキーに行っていいよー!」
と言ってくれます。いつも10時くらいには山に上がれるようにしてくれてました。
山を下りてくるのは早くて4時、遅かったら5時まで滑らせてもらえました。
帰って来る時間を決めるのは、おばさんで
「松田さん、今日は5時まで滑っていいよー!」
といった具合です。
ただおばさんは遅れたら厳しかったですねー!
遅れたら
「松田さん、今日はご飯抜きねー!」
と言ってご飯たべさせてもらえないのです。
ご飯といっても晩御飯までのあいだのおやつみたいなもんなんですけどね。
ぼくが山では御飯を食べないのを知ってるから、食べさしてくれたのです。
だからいつもダッシュで山を下りてきたものでした。
それからお客さんの晩御飯の用意をして、お客さんが食べてる時にみんなで御飯を食べます。
それからあと片ずけをして、いちおう1日の仕事が終わりです。
だいたい8時半くらいです。
あとお客さんの部屋の掃除をする時もあるし、雪が降った時は雪かきをする時もあります。
いろいろあるんですけど、またおいおいエピソードを書いていきたいと思います。
今回はざっとスキー場での居候生活を書きました。
最後に3年前に亡くなった、大好きな民宿鈴森のおじさんのご冥福をお祈りします。
合掌。
2017-10-08 | マスターのひとりごと | ▲ページトップへ